芥川賞を読んで〜火花とスクラップ・アンド・ビルド〜

文藝春秋9月号を読んだ。学生時代は毎月買って読んでいた時期もあったが、最近はご無沙汰だった。芥川賞も関心はあったが、85年の日航ジャンボ機墜落事件で奇跡的な生還を迎えた川上慶子さんの兄の手記や戦後70年を迎える今年ならではの大型企画が目白押しだったので、手にとってみた。なので、簡単に書評とやらを書いてみました。ご笑覧ください。

<火花>

煌びやかな花火に釘付けの観客が会場に向かう中、相方とともにがむしゃらに笑いを取ろうとする主人公徳永。そこで出会った先輩「神谷」。互いに夢を語り、芸人を目指す青春を描いた作品。 感受性が繊細すぎて、他者からは斜に構えていると言われる。だから、登場人物も数人しか登場してこない。中心は、徳永と神谷との生き様が描かれている。又吉直樹本人のインタビューでも語っていたが、「感情を風景で表現したい」と語っていただけに、所々表現が伝わりにくいところがあり、読了するのに難儀したといったのが率直なところだ。好きな人は好きなのかもしれない。文中で気に入った言葉以下だ。

「自らの意思で夢を終わらせることを、本気で恐れていた。全員が他人のように感じる夜が何度もあった。(中略)自分を鼓舞し無理やり興奮していた。いつか自分の本当の出番が来ると誰もが信じてきた」

「一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。」

「この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある。だから面白いねん。でもな、淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん。やらんかったらよかったって思う奴もいてるかもしれんけど、例えば優勝したコンビ以外はやらん方がよかったんかと言うたら絶対そんなことないやん。一組だけしかおらんかったら、絶対にそんな面白くなってないと思うで。だから、一回でも舞台にたった奴は、絶対に必要やってん。

「世間を無視することは、人に優しくないことなんです。それは、ほとんど面白くないことと同義なんです」

言うまでもないことだが、お笑い業界の生き残りは厳しい。筆者自身が見てきた世界がそこにある。次回作はどうなるか、それはそれで楽しみだ。

 

<スクラップ・アンド・ビルド>

 これは良かった。読了した時、本当にそう思った。涙腺が度々緩み、真実味がある表現に胸が痛んだ。でも、自分が主人公の立場だとしたら、多分そう感じてしまう。そんな作品だった。インタビューでは、ほとんど創作で、等身大のリアルな問題に見つめて描くことで、大きなテーマが段々わかってくるとも語っている。

 主人公健斗は28歳の男。彼女持ちだが、新卒で5年間勤務したディーラー職を辞め、行政書士の勉強をしながら只今無職の身。たまに彼女とセックスに勤しみ一方で、実家には寝たきりの祖父がいる。「早う迎えにきてほしか」が口癖で、一刻も早い死を待ち望んでいる。自身が時間を弄んでいる中でもイライラしているのに、言うことを聞かない祖父の存在は鬱陶しくてたまらない。母も邪険に扱う。甘やかない。トイレまで自身で歩かせることを強制し、助けはしない。なんでもやってあげようの姿勢は全く見られない。

 ここまでではないが、この光景を母方の実家で見たことがある。口が悪い叔母は、14年前になくなった祖父、そして、今際の祖母に対して邪険な扱いをする。いや、そうしているように見えた。そんな叔母が、私は大嫌いだった。だが、祖父が亡くなった際に、ひときわ声をあげて泣いたのは叔母だった。

 主人公は、祖父の願いを叶えるため、食事の用意や階段の上り下り、トイレや風呂の手配までなんでもやってあげる。そうすることで、判断力や体力、精神力を奪い取り、ボケが進行し、双方が願う「死」への到達点に達する。週2回のデイサービスでは、女性看護師の尻をわざと触ろうとして、モタモタする祖父を見て、主人公はより看護に徹する。「早く死ね、このクソジジイ」。

 そんな最中、風呂に入れるため、主人公は祖父を抱きかかえ浴槽に入れる。一番神経を使う場面だとデイサービスのパートを長年勤務する私の母は、何度も聞いたことがある。主人公がふと目を離したうちに、祖父は溺れてしまう。健斗は速やかに浴槽から祖父を引き上げる。

(文中)「ありがとう。健斗が助けてくれた」「死ぬとこだった」その一言に、1畳半ほどの脱衣所で平衡感覚を失い、おぼれそうになった。自分は、大きな思い違いをしていたのではないか。孫をひっぱりまわすこの人は、生にしがみついていると(終)胸が締めつけられた。そう、誰もが苦しんで死を迎えたいわけではない。

 少しネタバレをしすぎた感があるが、受賞のことばで筆者はこう語る。

「身体性」を軸に、読者の心のぬけを確保するための小説を描く、“世間から求められる言葉を言わなくてもいい自由さ”があることを提示したい。生か死かー極端な方々にふりきること以外の、自由に選べる別の道が、何人にもあるはずなのだと。

 私の叔母を見る視点は、実に限られた時間の中での一部しか見ていなかった。今際と聞いている母方の祖母は、祖父、祖母と言える唯一の肉親だ。いつでも覚悟しておきなさい。先日、母からSkypeで聞かされた言葉だった。安易なヒューマニズムを声高に叫ぶのは簡単だ。だが、高齢者の日々の生活を支える人間からすると、実に説得力がない。インドへの出国前に、祖母の姿を見にデイホームに行った。「介護の男の人が、ベッドをけるの。怖いの。」と聞かされた。これは問題なんじゃないのか、母に尋ねたことがある。「そういう時もあるのよね。痛めつけられている訳ではない(そういった場所もある)、だから大丈夫。大変なのよ、介護は。終わりがないから、最初は親切心や正義感がある人こそ何でもしてあげようとするけど、本当にそれが当事者にとっていいのかはわからないわ。特に男の人はこの仕事は難しい。ある意味、仕事で割り切った方がいいのよ。」

 母が勤める介護施設も入れ替えが激しいと聞く。給料が上がらない割に、激務。そして終わりがない。母も間もなく仕事を辞める。65歳だが、自分より若い人間がデイサービスに来るのだという。高齢化社会をとっくに迎えている日本は、人生の終着点を決める自由を真剣に考える必要がある。おそらく我々の代は、安心して老後を迎えるようなフィナーレは用意されていない。死ぬまで仕事をすることになるはずだ。だったら生き甲斐を持てるような仕事でありたい。その最中、ポックリと人生の幕が終われば、その人は幸せなのではないか。自分はそうでありたい。