13ヶ月間のインド

◎近況

久々にブログと向き合ってみることにしました。

Facebookには取り急ぎ報告としたが、先月31日をもってインドを去った。

トランジットの香港にて休息のうち、今月2日早朝に日本へ帰国。

あれから、はや2週間が経過した。

実家へ戻った後は、市役所での手続や人生初のハローワークへ足を何度も運ぶといったことをしつつ、親しい人と少しずつご挨拶させていただいているというのが現状だ。

まだ日本に慣れきれてない。こちらが外国みたいだ。どこもかしこも人間がウヨウヨいて、オートのおっちゃんから話しかけられることもない。ただ静かに時が過ぎていく。

インド滞在はその環境をどれだけ望んだのか、わからない。混沌としていて、且つ欲望に飢えた生き物が数多くいた環境に対し、骨の髄まで疲労しきっていた。

ただ、それ以上に寂寥感が日に日に増している。あまりにも全てが整い過ぎているこの日本に、物足りなくなってきている思いがあるのもまた事実だ。

 

◎なぜ、インドから離れることにしたのか?

箇条書きにしてみれば、4点に尽きる。

1. 仕事面のハードさ(メンタル及び休日の少なさ)

→基本、土曜日(第2以外)は出勤。祝日も年10日あまりで、4日前に祝日が急遽取り消しになり、日曜日以外は出社という事態もあった(先輩曰く、よくあることらしい)。当初は、それでもやっていけるとおもっていたが、顧客(主にインド法人社長からの)問い合わせをはじめ往往にしてそれは圧迫となる。少しずつ溜め込んでしまい、しまいにはストレスを上手に回避できなかったことは大きかった。一言で言えば、メンタルで潰れてしまったのだ。

2. 他の日本人スタッフとのコミュニケーションがうまくとれなかったこと

→仕事の厳しい指摘は、上司及び顧客から数え切れないほど受けた。それをバネにして頑張ってきたが、夏で一回折れ、11月にこれ以上は耐えられないところまできてしまった。特に直属の上司からは、自分の業務範囲外でのタスクが多く且つその指示が理不尽な点があまりにも多かったので、最後は顔を合わせることができないまでになってしまった。勿論、自分の落ち度はあるだろう。決して人間関係が上手くこなしてきたわけではない。しかし、正直ここまでの経験は今までにはなかった。

3. ドバイビジネスの立ち上げ

→1にも関連するが、3月から7月までインドとドバイを兼務する形で、月1でドバイの新規開拓(要はアポ取り)が大いなる負担になったことも挙げられる。確かに、他国の日系企業を訪問することで、幅広い知見を広げることができたのは大きな収穫だ(ドバイは、お金がないと面白くないとはまさにその通りなど)。だがアポが取れていないとの叱責を受け、1日120件かけて、それを何日か繰り返したこともあった。前職がテレアポインターの仕事なので、慣れていないわけでないし、ソリの合わない上司からも評価されたが、それが仇となり、日本側のセミナー会場予約対応や上司の東京出張のアポ取り(4ヶ月)をやらされるとは全く思っていなかった。

4.  企業風土と自然環境

日本人スタッフも良くも悪くもインド人化している。自分の意見を簡潔に、はっきりと述べることで自主自立というのは良い点なのかもしれない。しかし、タイトルを持っている人間からの上意下達での指揮系統で物事が動く。日系企業に勤務した経験がないのでなんとも言えないが、日本であればオーナー系の企業風土が近いだろう。社長が白といえば白、黒といえば黒なのだ。まあ、これは外資系企業も同じようには言えるのかもしれないが。。会社からの予定が急遽入ってしまうこと(社長宅でのホームパーティー開催など)もなかなか堪えた。

会社(特に社長)からは、給料面やレポートラインの変更などの改善を約束することで、強い慰留を何度も求められた。確かに数字にも貢献できるまでになったし、気持ちとしては悪くないし、再考もした。しかし、最後まで自ら動いて顧客の下に足しげく通い、営業しに行くとはどうしても思えなかった。自然環境も決して恵まれているとはいえない。急速な都市化に伴い、環境汚染が深刻だ。私が住んでいたグルガオン

インド新聞 - インドビジネスコラム:新興都市グルガオンでは、12月から2月半ばにかけて10度を下回る冬が到来するが、それに伴い大気汚染が可視化される中で生活するなど、やはりゲンナリすることはどうしても多かった。 

あまりクドクド言い訳をいっても仕方ないので、ここで終わりにします。

 

◎ 得たもの

度胸とはったりの英語力くらいだろうか。(正統派ではないので、これから修正していきます。。)

ただし、有給をフルに使ってインド5都市(北はアムリトサル、南はインド最南端の地カンニャークマリまで)回れたのは、本当に幸せでした。(他の日本人スタッフは、5年以上勤務している人間もそこまで旅行をした人はいなかったようで。。。)

それだけ、ハードな職場に身を置いている証左ともいえます。

シク教との本拠地(Golden Temple)やワガ国境(インドとパキスタン両軍の応援合戦)があるアムリトサル、年末年始はケララ州(アーユルヴェーダ発祥の地、この間寺院での大規模火災で100人強亡くなりましたが)やインド最南端カンニャークマリで初日の出を目にし、2回目のタージマハルにアグラへ行ってみたり、最後はジャイプール近郊(といってもバスで3時間半)にあるチャンドバオリ(階段井戸)

magazine.campus-web.jp

に感動したりと(久しぶりに深夜バス搭乗)。

インドを知ることで、更に知らないことがどんどん出てきたので、新聞や雑誌、本(ヨガやインドの現代文化、ヒンドゥー教と現代社会の関係性、マハーバーラタ等の古代神話)は購入してきました。

機会があれば、それをこのブログでお伝えします。(全て英語なので、いつになるかわかりませんが(笑)

当面は、職探しと共に6月にあるTOEICと簿記の試験勉強に勤しむ予定です。

写真を整理した後に、インド滞在記は別途書きたいと思います。

 

◎ 感想

綺麗事と言われるのは承知の上ですが、これまでにない挫折と自分の想像が及ばない経験、体験を目にした1年は、後々振り返れば得るものは多くあったと思います。現時点で断定はできませんが、いずれそれが腑に落ちる時がくると信じています。インド人とビジネス経験がある方からは、否定的なコメントをもらったことも(今思えば大体はその通りでしたが)ありましたが、やらないで分かった気になるのではなく、自ら経験してきて思慮を深め、実感として落とし込む経験ができました。会社には本当に感謝しています。

最後にインドはもっと好きになりました。なぜならば、民族や宗教、言語や文化等が多様のため、十把一からげにすることは到底不可能だからです。

なのでいつになるかはわかりませんが、なんらかの形でまた渡印したいです。

まだお会いできていない方もおりますので、取り急ぎご報告まで。